先史時代の人類がシヴァテリウムに遭遇した可能性について

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(左図)Evolution of the vertebrates : a history of the backboned animals through time Edwin H. Colbert Wiley, c1969 2nd ed. P.437 より転載

 

 

絶滅したキリンの一種、シヴァテリウム(シバテリウム=Sivatherium)に興味があり、色々調べている。その過程で日本のWikipediaの記事を修正した方が良いのではと思ったが、正直どこから手を付けるべきか分からない。
日本国内の古生物の詳しい方に聞いてみるべきなのでしょうか・・・。

 



■経緯

Wikipediaの記事によれば、

 

しかし先史時代、サハラ砂漠の岩陰遺跡の壁画にシバテリウムらしき動物が描かれていることが知られている[3]。
また、数千年前のメソポタミアの遺跡からはやはりシバテリウムらしき古代シュメール人の手による小さな青銅像も出土している[6]。
これらのことから、シバテリウムあるいはその近縁種が歴史時代まで僅かではあるが生き延びていた可能性が高いとされる。
彼等の衰退と絶滅の原因は様々なものが考えられるが(氷河期とその終結に伴う気候変動、
シカ科やウシ科などの他の偶蹄類などとの競争等)人間による狩猟圧や生息環境の変化もその一因となった可能性はある。

  

とあり、先史時代の人間が遭遇した可能性があるらしい。

しかし、英語版Wikipediahttp://en.wikipedia.org/wiki/Sivatherium )では、この辺りの項目は昔は記述されていたが、現在は削除されている。理由は、人間がシヴァテリウムを見た根拠となる古い時代のいくつかの遺物がシヴァテリウムではなさそう、という議論がなされたため。英語版WikipediaのTalk( http://en.wikipedia.org/wiki/Talk:Sivatherium )にまとめられていて一見確からしい。

特に大きな矛盾は無さそうなので、これをそのまま是として日本のWikipediaにそのまま掲載しても良いとは思う。しかし、念のため本当に遺物がシヴァテリウムではないのか、確認してみることにした。

 


■確認すべき遺物の1つ目

 

サハラ砂漠の岩陰遺跡の壁画にシバテリウムらしき動物が描かれていることが知られている

 

というのは、『絶滅哺乳類図鑑』 180頁に記述されている岩陰遺跡の話らしい。
本の内容にはソースらしきものは確認できなかった。
壁画で有名なサハラ砂漠の岩陰遺跡は、タッシリ・ナジェールWikipediaの記事のことだと推察されるが、インターネット上ではここにシヴァテリウムの壁画があるという情報は見つからなかった。原著はThe Marshall Illustrated Encyclopedia of Dinosaurs and Prehistoric Animalsであり、アマゾンで2400円。国内の図書館や大学にない。この本に原著やソースがあるのであれば確認したいが・・・。原作者や日本版の訳者に聞いてみるのがいいのだろうか。判断が付かない。また現在、タッシリ・ナジェールは政情不安なアルジェリアにあり、ツアー旅行も探したがどれも無期延期の状態だった。

とりあえず、この遺物についての検討はできなかった。


■確認すべき遺物の2つ目


これは日本語のWikipediaには載っていないが、米国のWikipediahttp://en.wikipedia.org/wiki/Talk:Sivatherium#Sivatherium_depicted_on_a_Sumerian_rein_ring.3F )で議論されていたのでついでに。
Willy Leyという方が書いたExotic Zoology( http://en.wikipedia.org/wiki/Exotic_Zoology )では、バビロンのイシュタル門(紀元前575年築)に書かれているドラゴンが、シヴァテリウムと共通する解剖的特徴をいくつも備えていると言及しているらしい。
しかし、該当するドラゴンの画像(下記)は、素人目にはまったくシヴァテリウムを記述しているようには見えない。

 Wikipediaの記事より転載

 

そしてExotic Zoologyは、cryptozoological(未確認動物)の本ということであまり学術的に信頼するものではないかもしれない。こちらも国会図書館や大学に無かったためamazon.comで注文した配達は1か月後になりそう。

(※2015/06/07追記

1987年に再販されたExotic Zoologyには、ドラゴンとシヴァテリウムの類似性を示す内容は書かれていなかった。1941年発売版を購入したためまた1ヶ月後に確認したい。ちなみにこのドラゴンのwikipediaの記事はこちら。)

この遺物については、学術的にシヴァテリウムとの類似性を検討している文献が見つからず、足の形状など明らかに写実性が薄いと判じられるので、対象外として良いと考える。

 

■確認すべき遺物の3つ目

 

Wikipediaでは1930年頃に発見された青銅の戦車飾りについて以下のように記述している。

また、数千年前のメソポタミアの遺跡からはやはりシバテリウムらしき古代シュメール人の手による小さな青銅像も出土している[6]。

 

この部分は日本語Wikipediaにも残っていて重要な点なので、いくつかの切り口から検討を行った。

 

●米国wikipediaの議論で参考にされていたブログの内容

scienceblogs.com

経緯としては、最初(1930年)にフィールド博物館でこの像を発掘したときはシカの一種だと判じられた。
Laufer, B. 1930. Tamed deer in ancient times. Field Museum News 1 (3), 1.
そのあと、1936年にColbertがシヴァテリウムではと判断したようだ。

Colbert, E. N. (1936). Was the extinct giraffe (Sivatherium) known to the ancient Sumerians? American Anthropologist, 38, 605-608
さらにその後、1977年にドイツ人研究者のMichaelがフィールド博物館を訪れた時に、枝角のパーツを発見したとのこと。
1977. 5,000-year-old Sumerian stag reunited with antlers. Field Museum of Natural History Bulletin 48 (10), 3 (これの200ページ目)

よって、角から判断していたColbertの仮説は、枝角の出現で崩れたことになる。
だがそれ以降もこの像がシヴァテリウムでありシカでない可能性はあるとの議論がなされ、迷宮入りという方向になっている。

 

●発掘当時のフィールド博物館のニュース

 

Laufer, B. 1930. Tamed deer in ancient times. Field Museum News 1 (3), 1.
この9ページ目、「Tamed Deer in ancient times(古代の飼いならされたシカ)」という記事。シカの一種であろうとみなされ、ロープが付けられていることから、生きたまま捕獲されて飼いならされたのではという議論がされている。特にシヴァテリウムやキリン科生物であるかという議論は無い。

 

●Colbertの1936年の論文

 

Colbert, E. N. (1936). Was the extinct giraffe (Sivatherium) known to the ancient Sumerians? American Anthropologist, 38, 605-608
これを読むと、発見当時、すぐ近くにウマの歯と骨の残骸が見つかっているとのこと。議論の中でColbertは、シュメール人のアーティストは、想像のままに像を作って、たまたまシヴァテリウムに似た物が出来上がったのかもしれないといいつつも、像とシヴァテリウムの7点の類似性を挙げて、シカやウマではない可能性を論じている。また、ネパールの山岳地帯(siwaliks)から、更新世中期にヒトが住んでいた遺跡を発見したことを挙げ、同じくsiwaliksからシヴァテリウムの化石が見つかっていることから、ヒトと接触があった可能性を挙げている。どれも可能性を論じており、あまり強い証拠ではないように思える。

 

●フィールド博物館への問合せ

 

この青銅像はフィールド博物館の収蔵物としてWebから見ることができる。http://archive.fieldmuseum.org/kish/popUps/OB25.html
念のため気になって実物が現地で見られるか、フィールド博物館に問い合わせてみた。しかしフィールド博物館では件の像は展示してはいないとのこと。
また、問い合わせの結果去年撮影した写真を見せてくれた。本体も台座も、角もバラバラだったが、きちんと保管されているようだ。只、担当してくださった方が気になることを言っていた。

「枝角の片方は金属性だが、もう片方は何らかの樹脂で作られていることがX線撮影の結果分かった」

 

また送ってもらった写真の台座も部分的に色が変わっていて修繕されているように見えた。私は知識が無かったためこれ以上追究できず、お礼を申し上げて問合せは完了した。

 

つまり、枝角は片方しか見つかっていなかったのでは?
もう片方は鹿のように見えるように、誰かによって創作された可能性は?
本体には樹脂による修繕はないのか?

疑問は尽きない。

 


■まとめ

 

シヴァテリウムとされる各種遺物には気になる点が多く、先史時代の人類が遭遇した根拠として辞書情報に載せるのは良くないと思う。

 

以上。